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寄贈100年、米ワシントンの桜こそ日本の「ソフトパワー」 [アメリカ・ヨーロッパ・中国アジア]

■受難の歴史越え咲く桜、「人生へのメッセージ」  100年前に贈られた桜にも、日露戦争を終結に導く仲介役を果たした米国への感謝が込められていた。しかし実は、最初に贈られた桜は花を咲かせる機会がなかった。  1910年、日本から最初に贈られた桜2000本は、到着すると害虫が発生したり病気にかかっていたため米農務省が焼却を命じた。当時のフィランダー・ノックス(Philander Knox)米国務長官は日本に宛てた書簡の中で「辛い決断だった」と述べている。しかし2年後、日本は改めて3020本の桜を贈った。ヘレン・タフト(Helen Herron Taft)大統領夫人が開催した式で植樹されたこの桜は、今度はしっかり根付いた。  ワシントンの桜が次なる受難に出会ったのは1941年、日米開戦の時だった。ハワイ(Hawaii)・オアフ(Oahu)島の真珠湾(Pearl Harbor)を日本軍が攻撃した後、何者かによって4本の桜が切り倒された。第二次世界大戦が終わるまで、桜はただ「東洋の木」と呼ばれたが、その裏で密かに桜を守る行動を米国人たちは組織していた。  戦後、桜祭りの人気はあっという間に広まり、日本は1965年、さらに3800本を寄贈した。桜祭りに関する著書があるアン・マクレラン(Ann McClellan)さんは、ワシントンを訪れる人々はまず日本の影響を思い浮かべるが、桜には「大事なメッセージ」も込められていると語る。 「タイダルベイスンのほとりに寝転び、花の下を歩く人たちの話し声を聞いていると、人生がどんなにかはかなく、美しく、だからこそ精一杯生きなければいけないことに思いをはせます。それこそが日本人の信条で、それを今わたしたち(米国人)も迎え入れているのです」
僅かな期間華やかに咲いて、散っていく桜。私も桜を見ると新しい気持ちになり、活力が沸いてきます。[わーい(嬉しい顔)]日本ももう少しで桜咲くかな[ー(長音記号2)][exclamation&question]
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